三富県議インタビュー

【三富佳一県議】

《プロフィール》
三富佳一県議は、昭和13(1938)年生まれの80歳。出身は田中角栄さんと同じ旧西山町です(現在は柏崎市)。
三富先生は、少年時代から地域のために働きたいという大志を抱いていました。町の議員を3期、県議会議員を10期に渡ってつとめ、半世紀以上も新潟のために働いています。

川端さん 普段、具体的にはどういうお仕事をなさっているんですか。
三富県議 いま、ひとつは、土地改良区の仕事があります。土地改良区というと皆さん、なんのことかよくわからないだろう。わかる?
川端さん いやあ、正直わからないですね。
三富県議 分からないね。土地改良区っていうのは、田んぼや用水路の農道の新設及び維持管理の整備なんかをしているんだよ。昔の田んぼは、本当にちっちゃかった、畦が曲がったりしてね。いまはこんなふうだけど、この辺りは昔、鳥屋野潟から水が上がってずっと沼地帯だったんだよ。
川端さん それは初めて知りました。
三富県議 今はこういうふうになっているけれど、用排水路を整備するとか、田んぼの区画を広く大きくするとか、それから、用排水施設、ポンプ場を整備するとかね。この近くに親松ポンプ場があるでしょ。
川端さん 排水場ですか?
三富県議 そう、曽野木の方にあるでしょう。
川端さん はい、わかります。
三富県議 あれは、土地改良事業で作ったポンプ場だよ。あのポンプ場で、水を汲み揚げて、日本海に放流してる。それによって、この地域はしっかりしたいい田んぼになった。
牛島くん そうだったんですね。
三富県議 排水設備がない頃の田んぼでは、腰のあたりまで泥の中に浸かって、田植えをしたり、ちっちゃい木の舟を持って行って稲刈りをしたり、その田舟で稲を運んで、はさにかけたりしてたね。そういう、田んぼを大きくしたり、用排水路や農道を整備したりしているのが土地改良区です。
川端さん うーん。
三富県議 それで、私はね、柏崎の土地改良区の理事長やってるの。昭和37年から土地改良と関わっているから、もう56年余りになるね。
川端さん 県議会議員の半分以上の任期はその、土地改良区のお仕事をされているんですか?
三富県議 土地改良区と県議会議員とは、公職選挙法上両立できる。だから今も、土地改良区の理事長してるよ。12~3年前から、土地改良区の連合会、新潟県土地改良事業団体連合会の会長もやっていますよ。
川端さん もうだいぶ長いんですね。
三富県議 うん。長いこと、そういった事業に関わってる。それで、そういうことをやりながら、県会議員としての政治活動もやっています。
川端さん 県議会議員としては、新潟の課題とか、これからこういうふうにしていきたいっていう思いはありますか。
三富県議 やっぱり新潟って昔からの農業県だからね。農地の面積なんかは、北海道の次なんだよ。平成30年度も、土地改良事業の予算や国からの補助金は、北海道についで二番目だよ。
牛島くん うーん。
三富県議 我々としては、国には制度を改善をして補助率を上げてもらって、農家の負担をなるべく減らしたい。そういった活動を、本当に長くやってきたし、今もやっています。農家に同意、賛成してもらうために一生懸命やっている。
牛島くん ああ、そうですよね。
三富県議 だから、反対の人たちにもこうしないと将来だめです、とちゃんと説明をしているんですよ。この頃は、農業就業者の数が激減している。みなさんみたいな若い人が、オヤジの後を継ぐとか、地域のためとか、俺がやるぞ、というような人はなかなかいないわね。皆さんはどうですか。
川端さん おばあちゃんちは農家なんですけど、それでも農業に触れることってあんまりないです。そういう機会は少ないなあって感じます。
三富県議 うん、そうだろうね。若い人たちはそうだよ。うちの孫だって田んぼなんか入らない。それどころかこんな事を言いますよ。「西山は新潟と違って緑が多いし空気はきれいだし、じいちゃんちは海にも近いしいいところだと思うよ」って言った。「それならここへ来て生活するのはどうだ」って言ったら、いや、それとこれとはまた別だって言うわけ。
川端さん ええ、そうなんですね。
牛島くん 小さいときは、そうですね、いなかにも憧れましたけどね。(やっぱり実際生活するとなると。)
三富県議 うん。生活の感覚がないからな。そこで生活をやるためにはやっぱり所得がなきゃだめなの。私は、農業だって、汗を流して頑張れば工場に勤めるよりいい収入が得られれば、若い人もやると思うよ。今のコンバインだとかトラクターだとかは、ちゃんとエアコンも入ってるんだから。
牛島くん
川端さん
へえ~
三富県議 ちゃんと囲われているし、寒いときは暖房、暑いときはちゃんと冷房が入るんだよ。だから工場に行って、冷暖が効くところで仕事するのも、コンバインとかトラクターに乗ってるのも一緒なんだよ。
牛島くん たしかにそうですね。
三富県議 そうでしょ。田んぼだから、泥だらけになってやるという時代は、それはもう昔の話だ。
川端さん でもやっぱりそっちのイメージのほうが強い。
三富県議 そういうイメージはあるだろうね。田植えとか、稲刈りの最盛期とかは、たまには社会見学に来ればいいんだよ。今どろんこになってやってる人はいないから。
川端さん 今一番衝撃だったのが、冷房と暖房がついてるっていうこと。びっくりしました。あとは、農業の問題点てどういうところですか。
三富県議 農業で、究極的には何を求めてるかって言うと、やっぱり所得だよ。他産業に負けない所得が得られるかどうかっていうのがやっぱり問題だと思う。農業も、他の産業に勝るとも劣ることがない所得を得られるんだ、となればみなさんだって農業やるでしょ。
牛島くん はい。
三富県議 だから、いかにして所得を得る農業にするかということ。そのためには農地の整備を通して、労働力がたくさんかからないようにする。それから、戦後まもなく整備した田んぼも、またもう一回やり直さないとだめなんだよ。老朽化してくるから、そのメンテナンスや維持管理もやっていかなきゃならない。そういうことを今は、盛んにやってますよ。
川端さん なるほど、メンテナンスもあるんですね。
三富県議 そういう農業を実現するためには、そこに必要なものをしっかりと整備をしてあげなくちゃいけない。私達が、土地改良の事業を通して、農家の方々の賛同や同意を得て、早く整備をしたいと思うのは。こういうことなんですよ。
牛島くん もしも、そういうことが実現すれば、農業の跡取りも出てきますよね。
三富県議 そうそう。そうなればね。でも跡取りもそんなにいっぱいいらないんだよ。条件整備をすすめて経営規模の拡大ができるように、今頑張ってるんです、こういうふうにね思っています。
川端さん ぜひなってほしいですね。新潟県民としてはやっぱり農業は大きい分野だと思うので。
三富県議 そうだね。若い皆さんにそういう気持ちになってもらえると、我々も頑張ってやることにね、やりがいを感じるしね。その為の事業を計画し工事を実施するには予算が必要であり、できるだけ補助率は高くし予算は必要額に充分確保するのは政治だね。
川端さん 話は変わるんですけど、議員をやっててよかったなあとか、やりがいを感じるときはどんなときですか。
三富県議 私はやっぱり若いときから、政治を通して地域に貢献したいという思いを持っていたから。自分が行きたかった道で、目標を持って、それに向かって進んでいくことはやりがいがあるね。自分の人生の生きる道だ、頑張ろう、と思っています。精進して、みなさんの期待に応えるというのがやりがいですよ。
牛島くん 議員さんやっていて、辛かったことはありますか。
三富県議 うーん。昔から言うけど、好きでやってることっていうのは、あんまり辛く思わないものじゃないかな。たとえ寝不足でも、美味しいものを食べられなくてもね。でもね、選挙って4年毎にあるからね、それは辛いよ。
牛島くん 選挙のときはどんなことをするんですか。
三富県議 夢や希望を、大きく高く持っていても、落選したんじゃ何にもならない。だから、常に、有権者の皆さんとお会いして自分の考えを言ったり、地域の方々や産業界の方々のお話や要望を聞いて、それに応えたり。そういうことをやって、お互いの信頼関係とか結びつきを築いて選挙を迎えるわけだ。なんにもしないでいたら、選挙には落ちちゃうよ。
川端さん 私達からしたら、ちょっとやっぱり政治とか選挙とかって遠い存在だなって感じてしまうんです。普段の話題に上ることも少ない。反対に、政治家の方の目に、若い人ってどう映っているんでしょうか。
三富県議 そうだね。少し前の新聞に、憲法だとか防衛問題だとかについて、学生の皆さんのアンケートの結果なんか出ていたよ。私はね、意外とみなさんもしっかりとした考えを持ってるんだなあと。捨てたもんじゃないなあと。率直にそういうふうに思った。本当に、期待していますよ。
川端さん ありがとうございます。そういうふうに言っていただけると嬉しいです。
三富県議 私は、高校生の時、ホームルームの時間だったかな、クラスで政治について討論会をしたことがあるよ。あの当時政治はやっぱり自民党と、社会党だったかな、二大政党。クラスも二つに分かれて、自由討論会したことがある。
川端さん そういうことはしませんでした。今と昔の違いってそういうところなのかなって。考えさせられる機会も少ない。
三富県議 模擬国会とかやれば面白いんじゃない。
川端さん そうですね。面白そうです。
三富県議 うちで、お父さんや誰かと政治の話することはないの?
牛島くん あんまり無いです。
川端さん 私は、あります。例えば、選挙が近くなれば、「どういうふうに考えてるの」って聞かれたりはします。
三富県議 うん、うん。そう。
牛島くん 全然話変わるんですけど、プライベートのこともお聞きしたいです。趣味はありますか。
三富県議 ああ、プライベート、趣味ねえ。そうだねえ、結構スポーツは何でもやったよ。
川端さん へえ~!
三富県議 中学、高校時代は、陸上競技部じゃなかったんだけどね。全校の校内マラソンなんてやると、中学の二年と高校二年のときに、優勝したんだよ。
川端さん じゃあ休日は、スポーツもされるんですか。
三富県議 小学校や中学の頃はね、まあ、やったけどね。あんまりやらなかった、だってまだ部活なんてのは盛んじゃなかったから。
牛島くん そうだったんですね
三富県議 それより、小学校は自宅に近かったからね。野球なんかやってると、「なにやってるんだ、早く帰ってきてうちの仕事を手伝いしなさい」って。学校まで迎え来るんだ。今はそんな家庭はないわな。だって俺達の同級生だって、親が学校まで迎えに来るなんて人は、いなかった。だから一生懸命働いたよ。
川端さん じゃあ、今はお休みの日はなにをされてるんですか。
三富県議 それがね、休みはないんです。
川端さん やっぱりお忙しいんですね。それじゃあ、気分転換するタイミングはいつですか。
三富県議 気分転換はね、夜に、ちょっとお酒を飲んだりね。
川端さん なるほど、お酒なんですね!
三富県議 うん、でもね、昔は家族旅行みたいなこともしてたよ。子供がまだちっちゃい頃、中学くらいまでだったかな、お金がない中でもやってたよ。土曜日の日はお昼に帰ってくるから、それを待ってて、車に乗せて1時頃には出る。高速道路は今みたいに整備されていないときでも、大体3時間も走ったら結構有名な観光地や遊ぶ場所へ行けたものです。
川端さん どこに行かれたんですか。
三富県議 富山、石川の北陸の方とか、群馬や長野には行けたから、そういうところにね。だから、子どもたちとの旅行は、春秋ぐらいに一回ぐらいやってね。ちゃんと親の勤めもしたんだよ。
牛島くん お孫さんは、新潟にいてほしいですか。
三富県議 孫はどこ行くかわからないね。そういう話も、たまに冗談で言うこともあるけど、最後は親子の間で決めること。爺さんや婆さんが、あんまり真剣になってする話じゃないと思う。親は親で考えてるんだろうから。
牛島くん 三富先生の、将来の展望みたいなものってあります?
三富県議 私はもうね、こういう社会を目指して頑張るって言うにはちょっと年取りすぎちゃった。だけど年輩者の考えも大事だと思うよ。政治の世界では、3年とか4年で一つの構想を成就させることは絶対できない。君たちだったら、大志を抱いて、頑張れば夢がひらける可能性は大いにあるよ。僕は皆さんのような若い人に期待したいと思う。
牛島くん
川端さん
ありがとうございます。
三富県議 でも、まだまだね、100まで生きるのには、まだ20年あるからな。
川端さん まだまだずっと現役ですね!
三富県議 お互いに元気で頑張りましょうね。
牛島くん
川端さん
ありがとうございます!

(2018年05月08日 県土連ビル にて)